村長の話は、概ね依頼書に書かれていた内容の通りだった。
　ただし、被害者の人数が、最後にやりとりした手紙に書かれていたより十数名増えていること、そのほとんどが現在も行方不明だということを除けば、だ。
　報酬に関しての取り決めや、その他の細かい契約事項の確認が終わると、三人はすぐに宿へ案内された。村長が気を回してくれたらしく、部屋には簡単な朝食が用意されていた。
「それにしてもひどいわね」
「ああ……先日の話の段階では、被害者の中に死者や行方不明者は出てなかった。重症の怪我人だって、驚いた馬の暴走に運悪く巻き込まれたせいだったろ」
「うん、私もそれは気になったわ。沼の魔物の行動は、よそ者を排除しようとしているだけ、いわゆる縄張り意識から来るものとしか思えなかった。村人を執拗に追わない点から見ても、捕食が目的ではないことは明らかだったのに……ここへ来て、十数名が消えたとなると……」
「食われちまったってことか」
　突然、深刻な顔つきで二人の話に割って入ったのは、さっきまでソファで大いびきをかいていた少年だった。
「ナツ、体調はいいのか」
「いや、よくはねえが……ハラ減っちまってよ」
　気づけばテーブルに並んでいた皿はすべて空になっている。
「あーっ、ナツってば、私たちの分まで食べちゃってるじゃない」
「で、やっぱみんな食われちまったのかな」
「いくらお腹が空いてたからって、みんな食べちゃうなんてひどい」
「おいリサーナ、話がややこしくなるからちょっと黙っててくれ」
「……まさかナツにそれ言われると思わなかったわ」
　エルフマンは呆れた顔で立ち上がると、ごそごそと荷物の中から包みのようなものを取り出し、ふたりに手渡した。
「これ何、エルフ兄ちゃん」
「こんな事もあろうかと姉ちゃんが持たせてくれたんだ。ありがたく食え」
　包みの中はチーズとスモークチキンのバゲットサンドだった。リサーナは歓声を上げる。
「さっすがミラ姉、このくらいのこと当然予測済みってわけね」
「それはそれで恐ろしいけどな……」
　ナツはあっという間にぺろりとサンドイッチを平らげると、底の方にまだなにか入っているのを発見した。
「おっ、デザート……でもなさそうだな」
　その小さな袋はテープで厳重に閉じられてはいたが、竜の嗅覚を持つものでなくともわかる程度に強い香りを放っている。ナツが怪訝そうにそれを指先でつまみ上げると、小さな紙片がはらりと舞い落ちてきた。
「……んんー」
　なんだこれ、と言いかけて、床に落ちた紙の端にチラリと見えた文字の筆跡に気づいたナツは、それを大急ぎで拾いあげると、反射的に袋ごとぱっと手の中に隠した。
「どうした、ナツ。なんか入ってたか」
「あ、いや、別になんでもねえ。……オレ、ちょっと自分の部屋で休んでくるわ」
　バゲットを頬張りながら不思議そうに首を傾げるリサーナの視線から逃れるように、ナツはいそいそとその場を離れた。
　部屋へ戻り、袋に入っていたものを取り出してみると、それは、手のひらにちょうど納まるくらいの大きさの星型のマスコットだった。綿を詰めた不織布で作られていて、薄荷のようないい香りがする。おそらく、綿の中に香油を含ませてあるのだろう。滅竜魔導士の嗅覚からすれば強すぎるくらいだったが、オイルの香りに紛れてもうひとつ、大好きな甘く優しい匂いをナツは嗅ぎ取っていた。
（大方、ミラになんか吹きこまれたんだろうが……）
　知らず知らず、笑みがこぼれてしまう。
　一緒に入っていたメモには見慣れた筆跡でこう走り書きされていた。

　ナツへ
　ミラさんから、ナツが仕事の手伝いでかなり遠出するって聞いて、ちょっと心配になって急いで作ったの。
　乗り物酔いに効くペパーミントとローズマリーの精油を含ませてあるからアロマピローとして使ってね。
　まあ、あんたには気休めにもならないかしら。
　でもホラ、こういうのはおまじないみたいなものだから。お守り代わりに持ってて。
　今回はエルフマンの接収のサポートなんだから、あまり張り切って敵をやっつけちゃったらダメよ。
　てか、絶対に建物を壊したり無関係な人を殴ったりしないこと、わかった？
　そういえば、その地域はカシュミール山羊の毛織物が特産品なんだって！
　お土産、楽しみにしてるね。
　ハッピーは魚がいいって。
　ルーシィより

「……"わかった？"じゃねえよ、オレが常に何か壊したり、関係ない奴を殴ったりしてるみたいじゃねえか」
　緩む口元をどうにも抑えられず、ナツは枕にばふっと顔を埋めた。
　結局昨日は朝から買い物に出ていたルーシィには会えず、その夜のうちに出発することになったため、チーム外で仕事に行くということも直接報告できないままだった。
（……そういや今日はハッピーと一緒にミラの手伝いをするとか言ってたっけ）
　二、三日ルーシィに会わないことは別にそう珍しくはないが、これほど離れた距離にいるのは初めてのことかもしれない。もちろんそれはギルドの他のメンバーにも言えることなのだが、いまやナツにとってルーシィは、そばにいて当たり前であり、ある意味ではハッピー以上に信頼を向けている存在だった。そして、ルーシィもまたナツを心から信頼し認めていることを、ナツ自身確信していた。
　ごろんとベッドに仰向けになり、何度も手紙を読み返しては「つか、心配なのは乗り物酔いだけなのかよ」「言われなくたってわかってるっての。おまえはオレのカーチャンか」「カシュミールなんて高級品買えるわけねえだろアホ」とぶつぶつ突っ込みを入れていたナツだったが、ふと、この星の形をしたお守りをミラに預けるために大急ぎでこれを書いている送り主の様子を思い浮かべた。
「……」
　"ルーシィより"と書かれたところを指でなぞってみる。
　ボッと顔に熱が集まるのがわかった。
「なにやってんだ、オレは」
　胸の奥がくすぐられるような感じがして、ナツはベッドに投げ出した両足をバタバタさせながら、星型の小さなアロマピローをぎゅっと頬に押し付けた。

◆

「ナツー、そろそろ出かけるわよ、起きて」
　ドア越しに叫ぶリサーナの声で目を覚ました。
　だいぶ日は傾いているらしく、カーテンが開けられたままだった部屋の窓はオレンジ色に切り取られている。
　どうやらあのままぐっすり眠ってしまったようだ。
「ああ、すぐ行く」
　答えてから、少年はぴょんとベッドから飛び降りた。
　バスルームで顔を洗い、タオルでがしがしと乱暴に水分を拭うと、いくらか頭がすっきりしてきた。
　マフラーを巻き直し、バックパックを背負ってから、ふと思い出してベッドルームへ戻る。
　枕元に置かれていた星型のお守りを拾い上げ、目の高さにぶら下げてじっと見つめたあと、ナツはそれをポケットにしまった。
「よーし、さっさと終わらせて、とっとと帰るぞ」

　馬車は絶対にごめんだ、というナツの必死の訴えが聞き入れられ、三人は山道を歩いて移動することとなった。宿のある場所から森へ入る道はそれほど距離はなかったし、まだ日があるうちに出発したため、沼にたどり着くのは徒歩でもそれほど苦ではないだろう。
「なあ、ずっと気になってたんだけどよ」
　後ろを歩いていたナツが口を開いた。
「化け物が現れた時期に、森ん中に突然沼が湧いたって話だったよな。そんなことってあり得るのか」
「数千年に一度起こるレベルの超自然現象でもない限り、まずあり得ねえだろうな。その化け物が棲み処として選んだこの場所に、魔力かなんかで沼を作っちまったと考えるべきだ」
　前を向いたままエルフマンが答える。代わりにリサーナがくるりと振り向いた。
「魚みたいな形してるって言うし、もともとは水辺に生息してるのかもしれないわね。なんでこんな山の中にいるのかは謎だけど」
「石の鱗に四本足だぜ、歩いてきたに決まってんだろ」
「ナツは考えが短絡的過ぎるのよ。しかもなんかちょっとわくわくしてるし」
「まあ、接収しちまえばある程度の特徴はわかるんだがな」
　街へ通じている山沿いの一本道から逸れ、沼へ向かう獣道に足を踏み入れる。森の中はすでに暗く、ナツ以外のふたりはもはや目を凝らさなければ足元も見えないほどだった。
「ナツ、松明に火をつけてくれ」
「わかった」
　明かりがつくと余計にあたりの暗さが際立つ気がした。松明の火にゆらめく木々の影が、森の様子を昼間見た時よりずっと不気味なものに変える。
　さらに十分ほど歩いたところで、先頭を歩くエルフマンが突然立ち止まった。
「……おいリサーナ、道はこっちであってるのか。……なんだか、とんでもねえところに出ちまったみてえだぞ」
　ゴクリと生唾を飲み込むと、ゆっくりと松明で前方を照らした。
「えっ……」
　リサーナが目を見開く。
「なんなの……これ……」
　驚くべき光景だった。そこはまるで竜巻が通過したあとのような荒れようで、少なくとも明かりが届くまでの範囲内に、生を感じさせるものは存在しなかった。なぎ倒された木々はそのほとんどが幹を折られていて、無残に白い傷跡を晒していた。枝の先は、助けを求める格好で不自然に折れ曲がり、未だ青々とした葉はすでにその体が死んでいることに気づいていないようにそこにしがみついている。掘り返されて剥き出しになった株からは血管のように無数の根があらわになっており、洞の影が断末魔の表情を思わせた。
「ひどい……一体誰がこんなこと……」
「ここまで派手に破壊された痕跡があれば、今朝通った時に山道からでも気づいたはずだ。見逃したのでなければ、森が荒らされたのはつい数時間前ってことになるぜ」
　エルフマンが苦々しい顔で言った。
　明かりがなくとも見通しがきくナツは、横倒しになっていた大木から張り出した枝の上に登ってきょろきょろと周囲を見回していたが、落ち着いた口調で話し始めた。
「いや、人間の仕業じゃねえ。ちょっと前から気になってはいたんだ、この妙な匂い。……湿気を含んだ泥みてえな……」
　ナツの嗅覚は確かだ。異変を感じているのであれば、この男の野生の感覚がより正しいに違いない。
「それによく見ろ、木が同じ方向に倒れてる」
「ナツ、なにが言いたい」
　焦りでつい語気を荒げるエルフマンにすっと向き直り、ひと呼吸おいてから、少年は低い声で答えた。
「……間違いねえ、これは、なにかバカでけえ生き物が通った痕だ。きっとこの森のずっと先まで続いてるぞ」
「なん……だと」
　にわかに信じがたい言葉だった。こんなにも巨大であるだけでなく、ただ通っただけで、これだけのものを破壊してしまう力を持つ生き物とはいかなるものか。エルフマンは一瞬、天狼島で見た、黒い竜のことを思い出した。
「……そして、おそらくそいつが、沼の化け物、ってとこか」
「ああ、たぶんな」
　ぐっと拳に力が入る。
（……だが、あれに比べたら……）
　エルフマンは丸くなっていた背中を伸ばしてしっかりと顔を上げた。
（取るに足らない相手だ）
「……そんな、だって……聞いた話と全然ちがうじゃない……」
　愕然とその場にしゃがみこんでしまったリサーナに歩み寄り、震える肩を大きな手で優しく包みこむと、エルフマンは堂々たる口調で言った。
「結構じゃねえか。これだけの魔物を接収できなくて、ビーストソウル強化もなにもあったもんじゃねえだろ」
「で、でも……エルフ兄ちゃん……」
　リサーナがなにを恐れているのか、エルフマンには手に取るようにわかった。
　もう三年……いや、天狼島での七年を合わせるなら十年前ということになるだろうか。一度たりとも忘れたことなどない、恐るべき野獣の力に支配された自分がこの小さな妹を手に掛けたことを。あの時、意識は眼の前に立ちはだかった人間を排除することのみに向けられていて、仕掛けた攻撃も本気だった。リサーナは実際には無事で生きて戻ってきたが、それで自分の罪がなくなるわけではない。
　だが、だからこそ。　
「大丈夫だ、オレは二度と失敗はしない。あんなことはもう絶対に起きない。オレたちは、あの時のことを乗り越えなきゃならないんだ。でなけりゃこれ以上強くはなれない。リサーナ、おまえもそう思ったからこそ、テイクオーバーツアーなんて言い出したんだろう」
　不安げに揺れる薄いブルーの瞳をまっすぐ見据えながら、エルフマンははっきりと言った。
「そうこなくっちゃな。さすがエルフマン、漢の中の漢だぜ」
　だまってふたりのやり取りを聞いていたナツが、枝の上からひらりと飛び降りて軽々と着地すると、ニカッと満面の笑顔を向けた。
「兄ちゃんを信じろよ、リサーナ。前とは状況が違うんだ、なにも起きやしねえ」
「ナツ……」
「万が一、エルフマンが接収に失敗して暴走するようなことがあったら、オレが容赦なく叩きのめしてやる」
「……」
　兄の反応を窺うように見上げるリサーナに、エルフマンは望むところだ、とばかりにコクリと頷いてみせた。
　ナツはリサーナの手をぐいと引いて立ち上がらせると、親指を立てて自らを指し、力強く言った。
「オレが、絶対におまえを守ってやる」
「……うん」