2013年01月31日(木)
気づけば1月も最終日です。
相変わらず咳が根強く残っていてマジで体力の消耗が半端ないので、今度は耳鼻科じゃなくて内科へ行こうと思います。
あー煩わしい煩わしい。
ところで前々から思ってたけど、サイト更新しないと本当にアクセスが激減するが、独り言だけでも更新されるとどこからともなく人が集まってくるのはどうしてなんだぜ?別に『更新したぜイエーイ』とか他の場所で発言しているわけでもないし、当然、気づいた誰かが『JAMが更新したわよ奥さん』なんて隣近所に触れ回っているはずもあるまい。
更新があろうがなかろうが最低でもトップページをチェックに来ない限り気づくことはできないはずなのだから、ページビューが増えるのはまだわかるとしても、ユニークが増えるのがほんとうに不思議でならないのだ。
この謎を解けるという見た目は子供頭脳は大人なあなた、もしいらっしゃいましたら是非、お問合せフォームまたはBBSからお知らせいただけると幸いです。
なにを言っているのかわからないという方は、大好物の食べ物のことでも書いとけ。
2013年01月27日(日)
MAXレベル・最強装備でラスボスに挑む一歩手前のセーブポイントまで来て何故かそのままゲームを放置してしまう現象に、今日こそ名前を付けたいと思う。
2013年01月24日(木)
久しぶりによく働いた二日間でした。
とは言え、朝出勤してサービス残業をし帰宅は夜中、なんて大人は、いまの世の中ゴマンといるわけで、そういうことを考えだすと私は非常に胸が痛いですすいませんうそです。
胸は痛くないですが、実はちょっと腰が痛いです。
ご存知の方はご存知でしょうが、私はいわゆる個人サロン的な感じのマッサージっぽいことをしたりしなかったりする風な人間です。いわゆる癒しストというやつですね。
ウチは完全なる自宅サロンなので、セラピストは当然私ひとりです。腰が痛かろうが誰も揉んでくれません。私が他人を揉んで腰を痛めているというのに、私を揉んでくれる人はいません。腰を痛めている人を、腰の痛い私が揉んであげているというのに、です。
理不尽だと思いませんか。
思いませんよね私も思いません。
そんなことより、お受験の時期ですね。
ここ数年、学生さんたちのお受験シーズンのことなど、まったく気にも留めずに生きておりましたが、ナツルー関連でお若い方々を関わるようになったことで、色々と世情を知ることとなりありがたい限りです。
お受験された方々、お疲れ様でした。志望校に合格するといいですね。
抑圧されたストイックな日々からの開放、という意味で、私は彼らが羨ましいです。そりゃそれだけのストイックな日々を送っていたからこそ得られるものだということはわかってはいるのですが、決してストイックに生きることができない私には一生手に入らない感覚だと思います。ストイックがゲシュタルト崩壊してきたのでそろそろやめますね。
2013年01月21日(月)
咳のしすぎで腹筋が割れそうです。
というのは嘘ですが、おそらく人生初の耳鼻科へ行って来ました。
内科のように先生がデスクの前に座って、ひとりずつ呼ばれて対面で診てくれるものと思っていたのだが中に入って驚愕した。
第一印象は『修理工場』だった。数人の患者が部屋を指示通りに移動し、各ポイントで条件をクリアして次に進む、というもので、完全にシステム化された流れの中で診察も治療も行われる。全てが機械制御されていて、慣れた患者などは自発的に装置を操り、自ら治療を行なっていた。にも関わらず、それほど恐怖を感じなかったのは先生の動きが機敏すぎたためだろう。何の断りもなく長い金属の棒を鼻に突っ込んだり、謎の冷たい霧を噴射したり、おもむろに舌を引っ張ったりしながらも、私に驚くスキも与えなかった。しかも患者は常に二名が治療台に乗せられ、片方が次の工程へ送られるともう一名を診る、空いた台へ次の患者が補充される、という仕様だ。ふたつの間を行き来しながらもムダな動きはひとつもない。ここだけの話だが、あの先生はおそらく人間ではないだろう。
何が言いたいかというと、鼻から薬を入れる工程はもう二度とやりたくありません、ということです。
2013年01月17日(木)
風邪はお陰様で、残すところ咳のみとなりました。
ここ数日、まるで気が抜けたように時間を無駄に消費しております。ってこの類の独り言多すぎますね。
熱で苦しんでいる最中にわざわざ焦って新作を仕上げようとしたり、無理に絵を描いたりしていた意味がわかりません。
わかりませんが、私は昔から、何か制約があったり、崖っぷちに立たされたりしている時が一番集中力が増すという、非常に厄介な性格をしています。
夏休みの宿題は当然8月31日にやるタイプでしたが、例えば読書感想文などを書き始めると、まだドリルや絵画のタスクがあとに控えてるにもかかわらず、ヤバイと思えば思うほどもりもり調子に乗ってしまい、気づけば感想文が10枚20枚になっていたりするような子でした。
無論、ほとんどの人は日々の些細な出来事にもきちんと自分なりの制約を設けて、やるべきことをこなしているのでしょう。仕事というのは基本的にはそういうものだと思います。
問題なのは、私の中で「コレは崖っぷちである」と判断される基準というのが決して低くない点です。
たとえば、もう随分昔のことになりますが、病気のせいで目がほとんど見えない時期に急に思い立ってひとりでロンドンへ留学したことがあります。
英語に関しては、高校の授業ですらマトモに聞いていなかったし、受験勉強というものをしていないので大した単語も知りませんでした。当然、空港からステイ先に行くところからいきなり間違えて2時間ほどでつくはずの道のりが8時間かかりました。
道中、お腹が空いても食べ物を買う勇気がなくて買えませんでした。電車の行き先が書いてある看板の文字が見えなくて、1時間ほど、駅で呆然と立ち尽くしたりもしました。
見知らぬ土地で頼れるものは自分だけ、でも言葉もわからない、目もよく見えない、逃げ場もなく、誰のせいにもできない状況。
これが、いわゆる私の中での「崖っぷち」です。
私という人間は、昔からプライドが高く、自意識過剰で根拠のない自信に満ち溢れており、そのくせ努力が嫌いで、「やらないだけで本気出したらすごいのだ」とか思っていて、他人の言葉には傷つかず、のらりくらりと口先ばかりで、その場その場を誤魔化しながらうまくやり過ごしてきたわけですが、これでは成長できないことも心のどこかではわかっていたのかもしれません。あるいは、手っ取り早い方法として、窮地に自分を追いやることを自然と選んだ可能性も否めませんが。
結果的に、最初からきちんと計画性を持って勉強しに来ていた他の日本人留学生に比べたら、私は毛ほどの英語も身につきませんでしたが、その「崖っぷち感」がもたらしたものはものすごく大きかったと思っています。
他にも、パリに学生時代の友人が住んでたはずという、実にふわっとした情報だけを頼りにアポも取らずに勝手に出かけて行き、フランス語がカケラもわからない状況の中で道に迷い(フランス人は英語を一切話しません)夜中まで彷徨ったり、バックパッカーに憧れて宿を取らずにタイの安宿街にひとりで足を踏み入れ、着いて2日目で壮大な詐欺組織の手口に引っかかり、現金すべてとクレジットカードの限度額いっぱいを失ったこともあります。
話を戻しますが、つまり、ひどい熱が出た時に限って苦しみながら作品をあげようとしたりしていたのは、こういった厄介なクセが起因しているのではないか、と思った次第です。
だからどうってこともないんですけどね。
何も考えていないのでは、というご意見は、得意のスルースキルでヒラリと躱させて頂きます。
2013年01月12日(土)深夜
ウィルスの野郎め。
というわけで昨日から壮大な風邪を引いてのたうち回っている。
ここまで大げさな風邪はおそらく10年ぶりくらいだろう。薬が効いている間以外、38度超の熱が下がらないなんて人間として大丈夫なのだろうか。幸い仕事の予約もないし、どうせ普段から毎日家でごろごろごろごろしているのだからそれほど困ることはないはずなのだが、眠ることもできないほどの頭痛とのどの痛みと寒気と高熱でマジで生きてるのが辛い。風邪ってこんなすごい病気だったっけ?
スイート・ペイン・イン・チェインズの連載分を差し置いて、思い付いてしまったからには書かずにはいられなくなった別の話に夢中で、3日間くらいで仕上げてうpするつもりだったのが、後少しのところでこんな事態に陥ってしまい、なんだかいろいろ悪循環だなあと思っている。
おかしいなあ、私なにも悪い事してないのに。
2013年01月09日(水)
世間ではそろそろ学校が始まったり、会社も通常業務が開始される頃ですね。
皆さん、朝はやく起きてこのクソ寒い中家を出るのが嫌で嫌で仕方がないことでしょう。
一方私はといえば、好きな時間まで布団の中でぬくぬくし、好きなタイミングで起きて、食べたい時に食べ、日がな一日PC前でじっとしているどうしようもない人間ですが、こんな大人になりたくなかったら今のうちから必死で勉強し、堅実に仕事に打込むことを心からおすすめします。
あ、でも私、幸せです。皆さんの愛さえあればそれでいいんですほんとです。
先日の独り言を振り返ると何やらやる気が満ちていたようだが、実はここ数日思ったように絵が描けず身悶えている。
開き直って久々にアナログで落描きしたら、デジタルの感覚に慣れていたせいか、ものすごく思い通りに線がかけることに驚愕した。そういえば直に描いたほうがそりゃ描きやすいはずだよなあ。
アナログを敬遠していた理由は、線画を起こす作業が面倒だからだが、最近はデジタルで描く場合も下絵から線画っぽい工程はあるし、要するにどっちにしろ面倒だということに気づいた。
で、もうはみ出したり重なった線を無視して描いたスケッチみたいな下絵に、範囲選択で下塗りとかせずにそのまま筆で色をのせる手法で塗ってみたら、昔、シャーペン画に色鉛筆やマーカーで着色していた頃の画風そっくりになって妙に懐かしい気持ちになった。
まだCGなんてものは一般に普及しておらず、誰もが紙に鉛筆でお絵描きをしていたあの時代。
それは、フィルタ効果による誤魔化しや描画ソフトの性能に左右されない、アイデアとデッサン力、そしてデザインセンスがモノを言う、完全な実力社会だった。絵が上手な子、というのはクラスに数人はいたと思うが、中でも飛び抜けて秀でた者はクラスメイトのみならず、学年全体、ヘタをすれば先生たちからも一身にその評価を受けることとなる。何かと重宝されるうち、知らず知らず周囲における自分の位置づけを把握して自信をつけ、画力も上がり、光のもとで思う存分に絵を描きながら、最終的には美大を目指したりするようになる。
では、秀でた才能がないものたちはどうか。
周りとの距離を一定に保ちながら絵を描くことを隠すように生きるようになる。やがて彼らは身を寄せ合い、彼らだけのコミュニティを形成しだすのだ。日陰での活動ではあっても、共同体の中でお互いに認め合うことで充足感は得られる。しかし、早々に閉鎖的な空間にこもり偏った嗜好の影響ばかりで感受性が満たされるため、一般のクラスメイトを別の世界の住人のように受け入れられなくなる。集団行動の中で空気が読めなかったりすることから奇異の目で見られ、ヘタをすれば孤立するリスクは免れない。当時『オタク』というものは侮蔑の対象でこそあれ、文化としての意識を持つものなどいなかったし、本人たちにもその自覚がある場合がほとんどだった。
そういったコミュニティの中でもさらに、実力差による上下関係のようなものは存在した。今のようにインターネットで気軽に情報を得られるわけではないため、横つながりやコネクションは非常に有効であった。たとえば、漫画好きの兄姉や近所の年上のオタ系幼馴染などを持つ人間は出世が早かった。逆に、無知であることはすなわち弱者とみなされた。自らの力でものを考えて実践する能力のないものは、画力を上げることすらままならない世界だった。
このように、半端な気持ちで足を踏み入れた者たちは、殺伐とした絵描き道の世界で次々に淘汰されていった。かく言う私も、秀でた才能に恵まれなかった人間の一人ではあったものの、閉鎖コミュニティの中で、迫害を受けながらその道を突き進むほどの根性も情熱もセンスもなかったのであっさりと引き下がったわけだ。
あれから約数十年、学生時代の課題や仕事で必要に迫られて、といったもの以外で、これまで夢中で絵を描くような機会はなかった。興味もなかったし、生まれつき目の病気があったせいで視力の衰えは著しくそれどころでもなかったのだが、ここへ来て、ようやくあの頃の情熱を思い出した気がしている。
長々と何が言いたかったかというと、ナツルーってすげえなってことです。
ちなみに、当時のオタク文化に関する考察についてですが、彼らのコミュニティにも、日向のグループにも属さず、どちらにもいい顔をしながらのらりくらりと行き来しつつ、あくまで第三者を決め込んでいた私個人の勝手な見解ですのであまり深く捉えないでくださいね。実際、幸せオタクもいたし迫害されるヒーローもいましたよ。
ナツルーすげえなを言いたかったがための前フリでしかありませんすいません。
はー、つかれた。
2013年01月03日(木)
明けましておめでとうございます。
昨年は、貴様らには大変お世話になりました。本年も木綿様をお引き立て賜りますとともに、どうぞJAMを宜しくお願い申し上げます。
と、いうわけで明けました。
正直なところ、TVも見ない、新聞も読まない、外にもでない、友達もいない私にとって、正月もクソもないのですが、不思議なもので、私としたことがつい、この切り替えのタイミングを利用して何かを始めようと思ったり、悪癖をなおそうと考えそうになったりしてしまいました。いやはや、恐るべき正月パワーですね。
まあでも来年から本気出す、と去年から宣言してましたし、せっかくなのでひとつ企画を考えております。
実は先日、東上線ナツルーの会のメンバーで忘年会的な集まりがありました。そこでノリに任せて思いついたことを近い内発表したいと思います。
とはいえ、仕事も本気出さなきゃいけないですよね。ね。